人は無意識のうちに、遠回りをしたがる。 好きな女の子のプレゼントには何がいいのでしょうか? あの人には「何か」がある、とかあの人は「何か」を持っている、と言うが、その時の「何か」とは「サムシング」ではない。 ニンテンドーのWiiは、誰をターゲットに置いたのか? 漢字は、なぜこんなにわたし達を癒してくれる? そんなに怒るな、いつか来た道。そんなに嫌うな、いつか行く道。 政治家は景気が悪い方が嬉しいのかな? アナタの仕事に締め切りはありますか? 人の注目を集める人たちは何によって成長するか? ピンチとチャンスは、どの程度の距離にあるのでしょうか? その製品はどこで獲れたんでしょうか? 役者とタレント、どちらを目指しますか? 客単価はどうやって上げたらいいのでしょうか? 靴の値段は、古今東西、何の値段と同じであるか? 倖田來未は、いちご大福と同じく、とても正しい。 土下座と、「ごめんね、ありがとうね」ではどちらが難しい? なぜ借金持ちが宝くじを買ってはいけないか? 顧客は「よくある質問」によって何を得るのか? なぜ日本人はソフト民族なのか? 我が後姿に警戒おさおさ怠るなかれ 組織の歯車のどこが悪い? あなた、ピアノが弾けますか? あなたの一番の日を教えて下さい。 老舗だからこそ、変わり続けてきた。 いつまで信号機の前でたたずんでいるつもりですか? 分かってて騙されるところが日本人にはある。 事業を廃棄するよりは、リサイクルする方がいいかも なぜ弱い者ほど安売り競争のトップランナーになりたがるのか? 自分を変えたら、何に気づくのでしょうか? 新種のウイルスは、どこから生まれてくるのか? どんな時に、価格が下落するのか? 時系列のグラフから、何が見えるか? "情けは人のためならず"の意味の取り違えが時代を象徴している。 問うに落ちず。語るに落ちる。 経営者と投資家は、そもそもスタートが違う。 周りに嫌われず、上司を味方につけるゴマのすり方 秀吉のゴマのすり方、応用編。顧客の声の集め方 わかりにくいものを、わかるように伝える。それが「わかりやすく」ということ。 足の無い捜査は幽霊だ。 格差は、視覚差があるから話が拡散する。(この行にカクサという語がいくつ隠されているでしょう) 怒りにはメカニズムがある。 無謀と勇気とは、区別して考えたい 無謀と勇気とは、区別して考えたい・・・パート2《無謀の中に有謀あり》 読書と食事はよく似ている 出来そこないや不良は、人の期待を裏切りたくないから、そのように振舞う 言葉の「は」は、刃(やいば)の「は」になりやすい 君のことが何より大事なのです
多くの人は優柔不断である。こうすれば金儲けができる、こうすれば彼女への思いを遂げられる、そんなショートカット(近道)が用意されているのに、わざわざ遠回りをして結論の時期を遠ざける性向がある。多くの場合、それを知っていながら、行おうとしないのは「良識」という隠れ蓑で、自らを安全に保ちたい自己保存本能のせいかもしれない。
好きな女の子に自分のことを憶えておいてもらいたければ、誕生日のプレゼントは、とびきりかわいくておいしいケーキがいい。ほとんどの若い女の子は、かわいくておいしそうなケーキを食べる前に、ケータイでそれを撮ろうとする。彼女たちは、かわいくておいしいものと、後でそれを思い出すことが好きなのである。
卓越した人物を評して、あの人はどこか違う、独特の「何か」がある、と言うことがあるが、その人物に備わる「何か」とは、単なる「something」ではない。「something else」(他とは画然と異なる何か)である。 ナンバーワンよりオンリーワンというフレーズは、弱者慰労の言葉ではなく、本当のオンリーワンは、ナンバーワンより厳しいことを意味している。
マイクロソフトのXboxは、先発を切った。ソニーのPS3は、価格戦略に打って出た。しかし後出しのニンテンドーWiiは、ダントツで売れている。この3社は、性能よりマーケティングで戦ったが、先発の優位性や価格戦略は、あの振り回すコントローラに負けてしまった。振り回しコントローラは、「どう遊ぶか」のひとつの提案をユーザーに投げかけた。そして、今のところ従来のマニア以外のユーザーに認知され、裾野を広げているようである。
そんなに悲嘆にくれることはない。辛いという字に一を足せば「幸」に近くなる。「命」という字は、人は一度は叩かれると書ける。「苦しい」ことだったら、頭上の冠をとっぱらえば、そのうち古いことになり遠ざかる。
卓球とテニスには、シングルとダブルスがある。ダブルスの方が疲れるそうである。敵と味方、両者の動きに自分を合わせなければいけないからである。仕事に似ている。そして卓球もテニスも商売と同じである。どちらもまずサービスから始まる。
子供は学習することで99の計算など、正しいことを憶えていく。老齢化すると、食べたのに、食べてないなどと、憶えていないことが正しいことになる。悪いことばっかり覚えていく子供たちと比べたら、どちらが扱いやすいだろうか?
経産省は、定期的に、全国の商業販売統計を発表している。それによると、既存店の売上は年々悪化の一途を辿っている。しかし、この統計からすっぽり大きいものが欠落している。年々増加するインターネット通販であり、アマゾンの一千億超、楽天の四千億を始めとして、メーカーの消費者へのネット販売など全てが計上外となっている。なぜ政治家は、ある時には景気をよく見せようとしたり、またある時は、良いのを隠そうとしたがったりするのか、よく分からない。
締め切りのない仕事は無い。もし目前の業務に締め切りが無いならば、自ら敢えて、締め切りを作らなければ、本当の仕事にはならない。
ピッチャーとお笑い芸人は、「音」で成長する。ブルペンでキャッチャーのミットの皮が薄ければ、投げた球は景気のいい音がする。ピッチャーは自分の速球に自信を持つ。演芸館に若くてよく笑う女の子ばかりを集めたら、下手なギャグでも笑い声が館内に轟き渡る。若い芸人はネタに自信を持つ。
ピンチとチャンスはコインの裏表かもしれない。不幸な目に遭ったら、「〜をするチャンスだ」と言い換える習慣を持とう。そうしたら、ほんとにピンチがチャンスに切り替わることがある。大金を失くしたら、「また新たに稼ぎに取り組むチャンスだ」と言う。涙を流したくなったら、「忙しい中、情緒を取り戻すチャンスだ」と言う。言ったら気持も切り替わる。運命の神様は、そんな気持の切り替えを大変好むようである。
産地表示。 「亀山産」と品名に明記したら、店頭でバカ売れした。野菜や果物の話ではない。 シャープの液晶テレビ。亀山工場産で、間違いなく国産であることを表示した。生産のグローバル化によって、食品だけでなく、耐久消費財でも産地表示が差別化となる時代になった。
もしアナタが芸能人を目指すならば、役者とタレントのどちらを選ぶ? テレビの中の悪役が真に迫れば、視聴者の中には、自宅にカミソリを送る人もいる。役づくりがうまければうまいほど憎まれる。しかしこれがプロの仕事であり、役者として評価される。一方、見知らぬ誰からも名前を知られ、好かれなければつとまらない。これはタレントである。アナタはどちらを目指しますか?
客単価を上げたい時、お客様に「食後のコーヒーはいかがでしょうか?」と聞いてはいけない。「食後のコーヒーは、ブレンドにしましょうか?それともアメリカンがよろしいでしょうか?」と聞いたほうがよい。選択肢を与えられた方が人は物事を決めやすい。
男のグッズで、経済を測ることが出来る。ひとつはネクタイ。ネクタイの幅は景気の山谷のサイクルに比例して、10〜15年で広くなったり細くなったりする。もうひとつは靴。女性が売る最も歴史の長い商売がある。その相場は、いつの時代もどこの国でも共通して、男の靴の値段とほぼ合致している。
「ミスマッチ」とはもともと"いちご"と"大福"、"カレー"と"ラーメン"のようにとても合いそうにないもの同士を、合わせてみたら、想定外の効果があった、そんな取り合わせのことを言っていた。いつの間にか役人の造語である「雇用のミスマッチ」が定着したが、あれは誤用である。一方"エロ"と"カッコいい"は、ミスマッチであり、倖田來未のエロカッコいいは、とても正しい。
人前で土下座をするのと、奥さん・ダンナに「ごめんね、ありがとうね」と毎日言うのとでは、どちらが難しいだろうか?難しいことを一気にやり遂げることも大変だが、一見簡単そうに見えることを、継続して行うのはより難儀である。
子供の借金をあてにして、宝くじを買うバカおやじがいる。当たれば借金はチャラになるが、はずれることが多く、はずれれば子供の代にツケが相続される。借金まみれなのに膨大な国債を発行するのは、そういうことである。日本国家の台所は、他国から「財政赤字ギャンブル」と呼ばれている。
情報の非対称性という言葉がある。売り手の側に情報があり、買い手の側に情報はない。対称になっていないので、そのギャップを埋めるために、売り手は買い手への情報提供を行う。FAQや「よくある質問」は情報の非対称性を埋めるためのものだが、ほんとの効果は買い手への気づきを与えることである。買い手は、殆どの場合、自分の分からないことが分からない。そのことに気づかせるのが「よくある質問」の効果である。
西欧人と日本人との手先の器用さの違いは、文明の発達に伴い顕著になってきた。文明発達とともに貧富の差が発生し、盗人が登場する。盗人を捕らえるのに、西欧では「手錠」が発明され、日本では「縄術」が生み出された。盗人の罪状を記録するのに、西欧では硬いペンが発明され、日本では柔らかい筆が用いられた。ハードの文化、ソフトの文化は、用いる道具により象徴的である。
人のフリ見て我がフリ直せ、と言うが、人の「フリ」とは後姿のことを言うのではないのだろうか?わがフリを直したい時とは、多くの場合、前方を歩いてる人の後姿を見る時である。フケで白くなった肩、襟の半立ちしたスーツ姿、猫背の背中、後ろ襟からはみ出たネクタイ、などなどである。人のフリ見られないために、我が後姿に警戒おさおさ怠るなかれ。
サラリーマンは組織の歯車である。でもそれのどこが悪い?サラリーマンにも喜びがある。お互いの個性という輪郭がぶつかり合い、噛みあわされると、そこで歯車が互いを動かす。さらにその隣の歯車が噛みあって回転は徐々に増幅していく。大きな力となった動力は、顧客からの「ありがとう」のひと言を引き出す。そんなところにもサラリーマンの喜びがある。
「あなた、ピアノが弾けますか?」 少しの人は「弾けます」と答え、多くの人は「弾けません」と答える。わたしは「わかりません」と答える。やったことがないことは、やってみなければ分からないからである。
なかったことにしておきたい一日が、誰にでもある。 そして、どうしても忘れたくない、大切にしたい一日が、誰にでもある。 数年前、キリンビールがいい感じの広告キャンペーンを行っていた。「一番搾り」の認知のため、消費者からの作文を求める広告キャンペーンだった。 そのタイトルは、『あなたの一番の日を教えて下さい』
伝統を重んじる老舗がある。しかし老舗が今日まで生存してきたのは、頑として変わらなかったからではなく、環境変化に対して、自らの存在を果敢に変えてきたからではないのだろうか。企業経営には、変えるべき部分と変えてはならない部分がある。破綻予定の企業では、それらの境界線が不明瞭になっている。
目の前の横断歩道に信号機がある。そこを渡った先にも信号機があり、さらにそこを渡った先にも信号機がある。目の前に幾つもの信号機が立っているのがそこから見える。人は横断歩道を横切る時、目の前の幾つもの信号機のすべてが青に変わるまで、そこで待ち続けるものだろうか?誰もが、まず一つ目の信号機が青に変わったら、まず一つ目の横断歩道を渡る。自分の進路に立ちふさがる信号機のすべてが青に変わるまで待ち続ける必要はない。まず一つ目の信号が青に変わったら、最初の第一歩を踏み出せばよい。
どしゃぶりの日は絶好のセールス日和だった。クロージングのかかったセールスならば、嵐の日がふさわしい。顧客は、「そんなにまでして来てくれたか」となんだか感激してくれる。他の来客がいないから時間もゆっくりとれる。大仰なずぶ濡れが演出とは分かっていても、分かってて騙されたがるところが古い日本人にはある。今も少しは残っている。
M&Aの本質は、「時間を買うこと」にある。そこには、自社にない経営資源を短時間で獲得するという正の側面があり、一方、短時間で利ザヤを稼ぐというファンドビジネス等の負の側面がある。数年後、必ずこのうねりは、中小企業に下りてくる。その時は事業のリサイクルというコンセプトで正当化されているかもしれない。廃業よりは、リサイクルの方が時代的だろうから。
力の無い者が価格競争に参加するのは、絶対にタブーである。価格下落の風圧は、参加者をまたたく間にドミノに巻き込む。しかし、ディスカウントの先陣を切るのは、多くの場合、販売力に劣る弱小ゲリラである。それはまるで体力のないマラソンランナーが、レースの初盤でラストスパートを切るようなものである。
自分を変えようなどと大上段に構えない方がいい。自分を変えることの難しさは、早起きを習慣づけることによく現れている。5分でも早起きを実行しようものなら、決死の覚悟と決然たる行動力を要するものだ。本気で自分を変えたいなら、まず早起きから始めたらよい。1時間の早起き習慣に成功したら、世界が変わる。パラダイムが変わる。自分が変わる。そして変わることとは、変わってみたら、案外にあっけないものだということに気づく。
「作用反作用の法則」は、自然界の法則である。押さえれば、押しのけようと反発する。強くたたけば、強い反動が帰ってくる。新種のウイルスや細菌は、進化する抗生物質に負けまいとする自然界の抵抗であろうか。それとも人工の科学技術によって生み出された自然界の仇花であろうか。
'06年12月現在、米国で液晶テレビの価格、大幅下落の兆しがある。下落の原因にはいずれの世界にもプル(引く)とプッシュ(押す)とのふたつの要因がある。液晶テレビにとってのプル(需要の要因)は、ウォルマートがクリスマス商戦で仕掛けを放ったこと。プッシュ(供給の要因)は、これまで不安定だった素材や部品が、メーカー増産により、安定供給されるようになったこと。不足感が価格下落のブレーキであったが、そのブレーキが効かなくなった。
時に「勢い」は、上位を覆すことがある。いくら上位にいても、時系列のグラフが下向きであったり、平行線であるならば、やがて後発者に地位を明け渡さねばならない。後発者のグラフが常に上方のベクトルを描いているならば、その「勢い」が先発者を凌駕する。
情けは人のためのみならず。巡り巡って、人への情けは自分のためでもある、だから人様には情けをもっておつきあいしましょう。これが本当の意味だったが、情けは人のためにならない、だから人に情けをかけるのはやめましょう。このような意味の取り違えをしている人が多い。最近の多くの誤解であり、いかにも時代を象徴している。
詰問しても、人は白状しない。事実を知りたいならば、まず語らせよ。それを「問うに落ちず、語るに落ちる」と言うが、情報収集でも同じことが言える。聞いたり、請うたり、頼ったりでは、いくらお人好しでもうんざりする。価値ある情報を収集したいならば、自ら情報を発信することで相手も「落ちる」。多くを語る。価値ある情報が集まる。
管理型マネージャーはこう考える。 「売上」−「費用」=「利益」 売上からコストを差し引いたら、利益が残る。 戦略型マネージャーはこう考える。 「売上」−「利益」=「費用」 利益を計画の中で先取りする。売上を獲り、利益を確保する。コストはその範囲で予算化する。 投資家はこう考える。 −「費用」+「売上」=「利益」 投資なきところに利益なし。先行投資の測り方で売上が決定し、そこからリターンを獲得する。
秀吉は、城攻めの最後の詰めに差し掛かったら、信長に加勢を頼んだ。敢えて最後のいいところをお膳立てした上で、信長の機嫌をよくした。頭のいいサラリーマンは、自ら解決できる難問の最後の仕上げのみを残して、上長に託す。
完全な商品説明である必要はない。敢えて不完全な穴をひとつ作っておけばよい。気づいた顧客は、手を挙げて不足を指摘してくれる。アナタのおかげで穴が埋まり完全になりましたと御礼を述べたらよい。顧客は気持ちがいい。こちらはもうひとりのセールスマンが出来たことをほくそ笑む。
「わかりやすく」ということを勘違いしてはいけない。わかりやすい「もの」を伝えるのは、誰にでもできることだけど、「わかるように」伝えるのは難しいものだ。
どこかで聞いた刑事さんの言葉。最近の事件の特徴として、警察の杜撰な捜査を指摘するケースがすごく多い。初動捜査のミスとか、聞き込み不十分であるとか、どれもこれも「足の無い捜査」に所以している。警察組織が人不足なのか、異常事件が頻発し過ぎているせいなのか。警察は幽霊デカになってはいけない。
格差とは、どこから生じるものだろうか?本来同じものに対し、異なる扱いをするから生まれるものだろうか?それとも、本来ちがいのあるものを同じように扱うから生まれるのであろうか?人間を、本来同質とみなすか、異質とみなすか、そこんとこの「視角差」があるから、いっこうに格差論にまとまりがつかない。
ある人の怒りが爆発する時、それは、その一瞬で瞬間的に勃発するものであろうか?多くの場合、その導火線を辿ってみたら、幾つかの伏線が隠されているものだ。怒りをぶつけられた相手方が、自ら知らず数個の火種をつくっているケースが非常に多い。傷つけた側が忘れていても、傷つけられた側は忘れないものだ。
子供は怖さを知らず、無目的に木から飛び降りる。これを無謀という。おとなは怖さを知り、ある目的のために木から飛び降りる。これを勇気という。無謀と勇気を区別したければ、ふたつの基準で測ってみたら分かりやすい。すなわちそれが命知らずの行為なのか、命を知っての行為なのか。それが無目的なのか、またはどんな目的行為なのか。
おとなが行う蛮勇には、無謀と勇気の区別がつきにくい。そのような時には、その目的のありかをよく見据えた方がよい。「無謀」と「勇気」の中間には、「有謀」というものもある。その目的がエゴに裏付けられていたら、それは「有謀」であろう。利他に裏付けられていたら、それは「勇気」である。
読書と食事はよく似ている。からだのためになるものはあまりおいしくない。おいしいからと言ってそればっかり食べていたら、栄養が偏ってからだによくない。頭脳の健康のためには、時には歯ごたえのある手ごわいものを摂取し、時には好きなものを思いっきり取り込んで気晴らしをする、そんなバランスがいいように思う。
人は基本的に、他者からの期待を裏切りたくない本性をもつ。たとえ「出来そこない」であっても、「出来そこない」のレッテルを貼った人々への「期待」を裏切りたくないから「出来そこない」を演じることに忠実なのである。出来そこないや不良には、妙に義理堅く素直なところがある。自分への評価と重ねて、そこのところがよく分かる。
言葉の「葉」は、刃(やいば)の「は」になりやすい。人との間合いにおいて、"寸止め"出来るか出来ないか、そこは分岐点になる。相手の胸に恨みを刻印させるか、それとも相手の懐(ふところ)に気づきの石を預けるか、その分岐点である。
人にとって、どこかよその国の戦争で亡くなる人の命よりも、自分の目に入ったゴミの方が重大問題である。・・・残念ながら、それは否定できないところ。今横行しているいじめ自殺問題について、こんなことは言えないだろうか。命は何よりも大事なのです、と言うよりも、君のことが何よりも大事なのです、と言ってあげたい。
Copyright (c) 2007 ■ 情報交差点 【情報商材を交通整理しよう】 ■ All Rights Reserved.Copyright