看護師が、患者さんの手を握り締めるのは誰のためか? 天は、本当に二物を与えないのでしょうか? 土地柄で違う、「善」なるものの反対 立場でも違う、「成功する」ことの反対 性善説と性悪説、どちらで部下は動くのでしょう。 カルティエは、どのように方針を変えたのか? なぜ、そのまんま東が当選したか? ペットの子供化、子供のペット化 どんな時に人はひらめくのだろうか? どうしたら、子供の野球はうまくなるのでしょうか? オカミは自分の都合が悪い時、どんな戦略でプレス・リリースするか? 胴上げは、いつ、どこから出発したのでしょうか? 投網は、どこで投げたらいいのか? 増税にも負けず、格差社会にも負けず。 なぜ怖い方の野菜を選ぶのか? なぜ屋根の修理は、なかなか出来ないのか? アナタ、顔色青ざめていませんか? 神の創造物はなぜ美しくなく、頭がよくないのか。 心のスイッチがハンディキャップをアドバンテージに切り替える。 客を選ぶのは悪いことか? どうすれば、相手にとって必要不可欠な人間になれるか? 問題点の裏返しには何がある? 虫けらのように嫌うとは、誰のことですか? なぜ純情な男ほど浮気に走るのか? 探し物は、あなたの都合に合わせて隠れているわけではない。 旅はいいものだ。だけどアナタは、どこを旅する。 怪談とヘアーヌード ライセンスは、獲得する時にも消滅する時にもビジネスになる。 テクノロジーが進化するほど、逆手を取りやすくなる。 紙ナプキンや手のひらが最高のメモ帳 請求書よりは、領収書のほうが住みやすい。 なぜ記憶力が衰えても恐れる必要がないのか? 「勝ちに偶然の勝ちあり、負けに偶然の負けなし」 ヒーローになりたければ、時を選んだほうがよい イノベーターは、花火のようなものだ 偉い人がみな反対する。・・・ならばやってみよう 心配性の人は、どこまでも心配事を探し続ける 「そっ首落とされようとする時に、ひげの心配するだか?」 犯罪者は市井の中に身を隠しているのでなく、ひとりの人間の中に身を隠している いじめる側、いじめられる側、どちらが悪いのか? 身障者の方々を、なぜ戦略として活用しない? リスクのことを「危機」とは呼ばない。 究極同士を比べたら分かりやすい。 大きく見せて、小さく聴かせる。 勝つと思うな、思えば負けよ。
終末医療に接するプロの看護師は、病室に入るやすぐに、患者さんの手を握り締めた。後輩ナースは、「そうやって患者さんを元気づけているのですね」と感心したが、プロの看護師はこう言った。 「元気づけているのではなく、私が元気づけられているのです。これほど生きようとする生命のエネルギーに満たされている場はない。手を握ることを通していただく力に対し、私の方が感謝しているのです」
天は二物を与えず、という言葉にわたし達凡人は、安心を覚える。しかし、その安心は、万能の天才はいない、という安心であってはいけない。天は二物を与えないが、必ず一物を与えてくれている、という安心が正解である。
抽象的なものごとは、その反対の意味を問うてみたら、輪郭がはっきり見えることがある。ルース・ベネディクトというおばさんは、「菊と刀」の中で述べている。日本人は「恥」の文化、西欧人は「罪」の文化であると。「善」なるものの反対の意味を問うた時の、各々の答えである。日本人には世間様という規範があり、西欧人には神という規範があるからである。
いろんな立場の人にインタビューしてみた。「成功する」の反対は? ・失敗すること・・・・・・普通の人 ・リバウンド・・・・・・ダイエットに励む人 ・ばれること・・・・・・談合や汚職など、最近汚れの目立つお役人 ・生まれてきたこと・・・・・・宅間守や小林薫などの死刑囚 ・あきらめること・・・・・・チャレンジャー
部下の操縦法として、性善説がいいか、性悪説がいいか、議論の分かれるところである。しかし、どちらも上手に行えば、背中合わせの双子のようによく似ている。上手な性善説は、「お前にばかり仕事が圧しかかってくるのは、俺がお前を出来る人間だと思っているからだ」と持ち上げる。上手な性悪説は、「お前以外がみんな暇なのは、みんながお前を越えられないからだ」とくすぐる。
伝統的高級ブランドのカルティエは、今、接客に重点を置いている。顧客1に対し、店員2の人的投資をしている。ひとりの店員は接客。もひとりの店員は、接客態度のチェックをする。CEOはこのように語っている。「"カルティエは、どの顧客を狙うのか"とよく聞かれるが、カルティエには一つのタイプの顧客しかいない。店舗に足を運んでくれる全ての顧客だ」
'07年1月、宮崎県知事選で、そのまんま東が当選した。そのまんま東が優れていたからではない。既成政党や、「そのまんま」変わらないお役所体質が、自らの負けの原因をつくった。敵失。サッカーならば、オウンゴールであった。一方、県政にイヤケがさした県民は、最高の人を選ぶより、最悪の人を選らばない、という態度をとった。結婚でいうならば、死ぬほど恋しい憧れの人より、「そのまんま」素でいけるセカンドベストを選んだ。
少子化の前兆だろうか、ペット人口が激増している。ペット向けファッション、エステ、ホテルなどペットビジネスも賑わっている。その延長線かもしれない。子供のためのプチ整形というビジネスを見た。これはいただけないと思った。ペットの子供化と子供のペット化が互いに接近し合い、境目が曖昧になっている。・・・少し背中が寒い。
アイデアや発想は、頭から生まれるのではなく、手足から生まれるもののようである。静かに座して着想することには、人を驚かすほどのインパクトはない。むしろ歩きながら、風呂に入りながら、運転しながら、吊革につかまりながら、ひょいとひらめくことの方が人を驚かすアイデアとなることが多い。やはり「ながら」がひらめきの源泉なのである。
子供にキャッチボールのうまくなるコツを教えてあげる。普通、慣れない子供はボールを受ける時、グラブを前方に押し出して、ボールを「つかまえに」いこうとする。 そうではなく、ボールが近づいてきたら、前方に伸ばしたグラブで、ボールを「引き寄せて」受けることを覚えさせる。そうしたら、格段にうまくなる。押してはダメであり、むしろ引いた方がうまくいく場合が多いことを、身体を通して教えてあげる。
政府が都合の悪いことをマスコミにリリースしなければいけない時、「弱者戦略」を逆手に取る。「弱者戦略」とは、競合を避けて、ニッチで戦えるフィールドを探すことである。政府は、その日のニュースが賑やかで、ごった返している時(競合が激しい時)、目立たないフィールドを狙って、弱みをリリースする。
胴上げの由来をさかのぼると、ちゃんと来歴があった。江戸時代の大相撲では、千秋楽に力士が行事を胴上げしていた。場所前に土俵に招いた神様を、天に送り返すための儀式だったそうである。同じく、江戸時代、牢屋に入った新入りの罪人を胴上げする習慣もあった。こちらは、天国のような娑婆から地獄のような牢屋に落ちたことを実感させるための儀式だったのかもしれない。相撲は天に上げることに重点を置き、牢屋は、天から下りることに重点を置いた。
全くの初心者向けの広告だった。 『自宅にいて一週間でパソコン名人になれます』 その広告をインターネットのみで配信していた。パソコンときたらインターネットという直線思考。 初心者にネット広告は目につかない。 山に狩りに来たのに、投網を投げるようなものである。
東に増税の兆しあり、と聞けば「あぁ、公共サービスが厚くなっていいですよね」と納得し、西に減税の噂あり、と聞けば「おぉ、これでまた経済の活性化が図れるぞ」と胸をなでおろす。そんな楽天的な人にわたしはなりたい。
日本人は、野菜の残留農薬を恐れる。一方、主婦の選択する野菜は、虫がつかず、きれいで安い中国産野菜である。虫がつかないということは、虫も嫌うほど怖い農薬が投下されているのを意味している。きれいで安いということは、それだけ人工的に大量生産されているのを意味している。
屋根の修理をするのは、太陽の照っている時である。(JFK) 国家予算ならば、景気がやや上向きの状態に、財政の建て直しを図らないと、すぐドシャ降りがくる。ドシャ降りの時に、財政再建は不可能である。企業ならば、売上好調の時にこそ、これまで手をつけにくかった財務のリストラに着手するチャンスである。
人体実験をした。ひとりの人に、違う3人から別々に声を掛けた。「アナタ顔色が青いですよ」 健康体の被験者の顔色は、3人目からそう言われた頃、本当に青ざめてきた。黒を白と言いくるめる詐欺師の手口は、このような人体の化学変化を利用している。
神は圧倒的多数の人類を、美男美女でなく、頭脳明晰でないように創造したもうた。多くの男女に容貌上のコンプレックスがあるから、子孫繁栄のために、他の分野で頑張って、よき伴侶を勝ち取ろうと努力する。多くの男女が頭脳明晰でないから、独力ではなく、多人数で力を合わせようと努力する。
ハンディキャップもアドバンテージも、絶対的なものではない。最も不幸な思い込みは、実はアドバンテージなのに、それをハンディキャップとしか受け止められないこと。最も幸福な気づきは、ハンディキャップと他人が思い込んでいるが、実は本人はアドバンテージであるとの信念を持っていることである。この相違は、心のスイッチの操作方法を知っているかどうかであろう。
飲み屋のママさんにアドバイスした。「お客様を選んだ方がいいよ」 クラブAのママさんは、店を会員制にして、厳格な服装チェックを行った。クラブBのママさんは、来て欲しいお客様を頭の中で特定し、そのお客様の喜びそうな女の子のタイプを揃えた。クラブAはつぶれた。クラブBの売上は倍増した。A、Bの違いは、「直接的」に選ぶか、「間接的」に選ぶかの違いであった。
「私がいないとあの人は何にもできないの」「アイツは、ひとりでは何も決められないんだ」これらの発言は、依存度の高い関係を表している。間違ってはいけないが、発言している側が相手に依存しているのである。つまり人は自分を必要としている人がいないと不安になる。必要とされている、と認知することで相手に多くを依存しているのである。
「問題点」を裏返せば「課題」になる。要はひっくり返し方である。儲からない。人が多過ぎる。こんな問題点を「活かしません」という折れ線で裏返せば、如何にリストラすべきか、という課題になる。これを、「あきらめません」という折れ線で裏返せば、如何にしてひとりひとりを活性化すべきか、という課題になる。
「虫けらのように嫌う」と言うが、これまでの害虫ですら益虫に変身する世界がある。汚いところで、卵を産み育てるハエは、卵を病原菌から守る抗菌物質を持っている。木材を食うシロアリは、木屑から作り出すバイオエタノールという新燃料の手助けをしている。虫けらのように嫌ったら、虫けらがかわいそうである。
男の方が女より純情であろう。恋人に対して、男はつい盲目になってしまい、女はそれが疎ましくなってしまう。そして男は女に捨てられる。純情な男は経験を通してそれを知り、捨てられないため、盲目にならないために、二兎を追い、三兎を追って力を分散する。
暗がりの自動販売機の前で、コインを落としたら、人は自販機のネオンの明るさを頼りに、落ちたコインを探す。落ちたコインは、実は明かりに照らされない影の部分に潜んでいる。人は概ね、探し物を自分の見つけやすい場所で探すが、探し物は、実は見つけにくい場所に潜んでいるものだ。
旅の醍醐味は、変わりいく景色を楽しみ、珍味を味わい、新たな出会いに胸躍らせる。・・・ということであろうか?旅とは、或いは周りの変化に身を置くことではなく、自らの視点を変えることではないだろうか。
最近のホラー映画は、怖くなくなった。化け物がすぐ正体をあらわすからじゃないだろうか?子供のころ、トイレに一人で行くのを死ぬほど怖がったのは、真っ暗闇に何か得体の知れないモノが潜んでいるかもしれない、その恐怖だった。正体の見えない恐怖だった。・・・そういえば、ヘアーヌードにはいっこうにそそらなくなった。似ていると言えないかな?
権利をオカミが保証することで、ビジネスの機会が増加し、リスクが回避される。特許権、商標権、意匠権、著作権など・・・。オカミの保証が期限切れになった時、あらたなビジネスも発生する。医薬品の特許権が切れたら、ジェネリックという安価な薬品分野が発生した。映画の著作権の期限切れが今話題になっている。それでは、商標権では?意匠権では?
衛星写真やグーグルアースなど、地球上のディテールが捕捉しやすくなってきた。ゲリラやテロリストは動きにくくなったのではなく、巧緻な作戦を組みやすくなった。つまり、陽動作戦でそこに耳目を集め、ブラインドを衝いて本丸を落としやすくなったのではないか。
レストランの紙ナプキンや、手のひらの方が有効なメモ書きになる。立派な手帳へのメモは書いてそれっきりになりやすいが、刹那的なメモは失くすことを潜在的に恐れるために、早めにハードディスク(記憶中枢)にインストールしようとする。メモは立派に書き込むことが目的ではない。メモリーする目的のための手段。
世の中に、請求書の枚数が増えると、とかく住みにくくなる。出来れば、領収書の枚数を増やしたほうがよい。請求書は、相手に手を差し出して、下さい、下さい、と言う。領収書は、相手に頭を下げて、ありがとうございました、と言う。
大学受験の時には、赤尾の豆単にはお世話になった。裏表紙にいわく。「人間とは忘れる動物である。忘れる以上に憶えることである」 忘れまいとして、守りに入れば「忘れた」ことの喪失感として、心に引き算の結果が残る。新規のものを積極的に取り込もうとしたら、頭の新陳代謝がよくなり、獲得感として、心に足し算の結果が残る。 ※赤尾の豆単ウン十年前の受験生必須のミニ英単語集。文字通りの赤表紙で、みんなこれに赤線を引き込み必死で英単語を憶えた。
「勝ちに偶然の勝ちあり、負けに偶然の負けなし」(楽天 野村監督) サクセスストーリーや勝ち戦は、必ず美化され、その分信用できない。失敗談や負け戦には、必ず確たる原因がある。そしてそれらは、換え難い宝物として埋没しており、掘り起こす人を待っている。
いずれの時代にも、既製概念の破壊者は注目されるものだ。動乱の時代に彼らは「イノベーター」と呼ばれるが、平時には「はねあがり者」と呼ばれる。登場するタイミングを間違えたら、とんだ笑いものになる。どうせ跳ね上がるならば、よく潮目を見はからい、時を選んで登場した方がよい。
常識や既成概念の破壊者は、遠目で見れば美しく、人みな見惚れてしまう。しかし、近くには寄らないほうが良さそうだ。近くに寄れば火花で火傷を負ってしまう。それはまるで夏の夜の打ち上げ花火のようなものである。
リコー三愛グループの創始者、市村清が、取締役会の全員反対の新規事業を意思決定する時のことであった。「そうか、役員諸君はみなこの案には反対か。・・・ならば、是非この事業をやってみようではないか。優秀な諸君がみな反対する事案である。きっと競合者もみな同様に考えているに違いない。われわれは先駆けて先行者利得を確保するのだ」
心配性の人は、とにかくどこまでもいっても心配が尽きない。健康体なのに、医者から「どこも悪くない」と言われたら却って心配する。逆に「ちょっとお疲れ気味ですね。このお薬を飲んでください」と言われたら安心する。彼らにとって病気や心配事は、解消するものではなく、探すものであろう。
黒澤映画「七人の侍」の中での、村の長老のセリフ。村が野武士に襲われようとしていた。村人たちは長老を中心に話し合いをしていた。用心棒として浪人達を雇うのが是か非か。非を主張する村人は、浪人達が、きっと村の若い娘たちをテゴメにするに違いないと心配した。そこでおもむろに長老の口から出たのが上のセリフ。リスク対策への心配を先行させて、直面するリスクの本質を見落としてしまう。もって肝に銘ずべきこと。
その犯人を知る人の談話は決まって「まさか、あの人が・・・」とか「ふだんはマジメで礼儀正しくて・・・」というものである。犯罪者は、いつもは目立たぬよう市井に密かに隠れているのであろうか?そうではなく、ひとりの人間の中に、もうひとりの人間が密かに隠れているのであろう。紙一重の差で犯罪者にならずに済んだ者も、決して少なくないと思う。
「いじめ」は、いじめる側といじめられる側の当事者たちの問題ではない。むしろ周囲の問題が大きいのではないだろうか。電車の中や、街路での横暴に対し、見てみぬフリをするおとなの姿が日常的になった。少し前までは、見てみぬフリ出来ず、見ぬフリして見ている、地域のおとなの暖かい眼差しがあった。
身障者の法定雇用率というものがある。2%足らずの低い指標である。役人が民間に「義務として」させようとするから中々実効が上がらない。本当は、身障者を「戦略として」活用する発想があれば、実効性も実行性も上がる。すなわちハンディのある方々が頑張ってる姿を目の当たりにしたら、健常者従業員は、小さなことでクヨクヨしている暇はない。トップダウンの動機付けより、ボトムアップの動機付けの方が、心にスイッチが入りやすいのである。
単なる危機(デインジャー)ならば、その正体が分かっているから、避ければよい。しかしその危機が「リスク」と呼ばれる時は少し様子が違う。ファイナンスでは、リスクのことを、正体の分からない「不確実性」と呼ぶ。困ったことに、不確実性には、悪魔の顔と女神の顔の両面がある。
ギャンブルと投資の区別のつかない人が多い。区別をつけるために、究極同士を比べ合わせたら分かりやすい。究極のギャンブルには、死にたくなるほどの恐怖と、もう死んでもいいと思える歓喜が寄り添う。究極の投資は、投資していることを忘れるほどの安堵に満たされている。
テレビは、ブラウン管から、液晶やPDPなど、薄くて大画面が主流となってきた。 ステレオは、ミニコンポからウォークマンへ、そして iPodなどへと精密小型化してきた。見せるためには、やはり大きく目立たせた方がよくて、聴かせるためには、小さくさりげなく、の方がいいのであろうか。
勝つと思うな、思えば負けよ。シャドーボクシングは、負けないための訓練。スパーリングは、負けてもへこたれないための訓練。実戦は、負けて悔いを残さないための訓練。
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